復活!「昭和の町」
ポイント
- 商業と観光の一体的振興策
- 商工会議所・市・商業者の三位一体の取り組み
- 町の魅力を伝える「ご案内制度」
- 場所:
- 大分県 豊後高田市
- 分類:
- 【地域資源・地域特性】
- 人口:
- 2.5万人
- 協議会:
- あり
- 実施主体:
- 豊後高田商工会議所・豊後高田市・商業者
1.まちの概要
規模・人口
豊後高田市は大分県の北東部、国東半島の西側に位置し、西は宇佐市、東は国東市、南は杵築市と接しており、面積約206 k㎡で、人口は約2万5千人の都市です。平成17年3月31日には西国東郡真玉町、香々地町と合併して新たな豊後高田市が誕生しています。
交通アクセスなど
大分市まで約60kmと比較的近い距離にあり、国道213号線が南北に走っており、大分空港からはバスにより中心市街地へ向かえます。また、JRの最寄駅は宇佐駅です。
まちの現状
豊後高田市の中心市街地には、8商店街が存在しており、高田地区は6商店街、玉津地区は2商店街となっています。また、豊後高田市役所、中央公民館、図書館などの主要な公共施設、病院、学校などの都市福利施設は中心市街地内に立地されており、特に公共施設については『玉津地区』に多く立地しているのが特徴です。(豊後高田市HPより一部抜粋)
2.まちの課題と活性化の取り組み
課題・問題
日本において、車社会が進展し、広い駐車場や豊富な品揃えを誇る量販店が郊外に出現しだすと、豊後高田市の中心市街地でも例にもれず平成8年、9年と大型店が郊外に相次いで出店し、既存商店街は人通りもまばらになり、活気を失っていきました。そして、ついには『人通りよりも犬や猫の方が多い』と表現されるほどになっていました。
活性化の取り組み
このような状況で、以前より商業調査や商業活性化構想などによりまちの復活の糸口を探していた豊後高田商工会議所や豊後高田市、商業者が平成13年から動き出します。商店街の振興に「観光」という要素を取り入れようという考えの下、戦禍を免れて、中心市街地商店街の7割が昭和の建築物が残っていたこともあり、商店街が最後に元気だった時代、昭和30年代の賑わいを蘇らせようと「昭和の町」の復活に着手しました。
具体的な方法
「昭和の建築再生」「昭和の歴史再生」「昭和の商品再生」「昭和の商人再生」の4つのコンセプトを掲げ、まちづくりを開始しました。
<4つのコンセプト>
- 昭和の建築再生(昭和の街並み景観づくり)
- 昭和の歴史再生(店に残るお宝を一店一宝として展示し、町や店の物語づくり)
- 昭和の商品再生(店自慢の昭和商品を一店一品として販売)
- 昭和の商人再生(お客さんとのふれあい、おもてなしの心づくり)
平成13年当初は「昭和の町」修景事業に参加した店舗は11店舗でしたが、平成14年には18店舗、平成15年には28店舗と少しづつ増えていき、平成21年度には48店舗にのぼっています。また、各店舗が4つのコンセプトに従い、店に残るお宝を一店一宝として展示したり、店自慢の商品を一店一品として売るなど「昭和の町」づくりに力を注ぐと同時に、平成14年には商店街に隣接した旧農業倉庫を活用し、観光拠点施設「昭和ロマン蔵」の整備を開始しました。同年、昭和のおもちゃを集めた「駄菓子屋の夢博物館」、平成17年には黒崎義介画伯の絵本原画を展示した「昭和の絵本美術館」、平成18年には飲食施設「旬彩 南蔵」、平成19年には「昭和の夢町三丁目館」をオープンしました。
また、「昭和の町」の魅力をより分かりやすく、楽しく伝えるために「ご案内人制度」を設置しています。開始当初はボランティアや商工会議所職員がご案内人となり町の魅力を伝えていましたが、現在もこの制度は脈々と受け継がれております。
その他にも、「昭和の町レトロカー大集合」として、イベントを行ったり、平成21年には昭和の町の新たな魅力ツールとして、昭和30年代のボンネットバスを復活して、町を周遊させたりと、継続して「昭和の町」づくりに取り組んでいます。
支援策
商店の修景においては「大分県地域商業魅力アップ総合支援事業」、「中心市街地空き店舗対策事業」、「豊後高田市一店一宝等展示施設整備事業」など、商工会議所が事業主体となって、国や県や市の補助金を利用しています。また、平成18年オープンした「旬彩 南蔵」には戦略的中心市街地商業等活性化支援事業費補助金、平成19年オープンした「昭和の夢町三丁目館」にはまちづくり交付金が活用されています。
3.取り組みの効果
「昭和の町」復活の取り組みにより、観光客が商店街に増えることで賑わいが生まれはじめ、シャッターを閉じていた既存の商店が店を開けるようになり、新規に商店街へ参入する商店も出てきました。
平成13年当初2万5千人だった観光客は平成21年には33万3千人に膨れ上がっています。
中心市街地商店街の販売額も平成16年の66億円から平成19年には80億円へと増加しています。
4.今後の課題
今後は、個人客、グループ客が多く訪れる状況の中、多種多様なニーズにしっかり応えていくため、観光案内機能やホームページでの情報発信機能のさらなる向上をめざし、昭和の町から市内観光地への誘導をおこないながら、滞在時間の延長に力を入れて行こうとしています。
また、平成22年に行った昭和の町来街者アンケートでも見られるように、おみやげ品が少ないという実態があり、「昭和の町」にマッチしたおみやげ品の商品開発に取り組もうとしています。
「昭和の町」づくりには豊後高田商工会議所、豊後高田市、商業者が中心となって長く取り組んできましたが、平成17年には豊後高田市観光まちづくり会社が設立され、情報発信や観光案内事業など「昭和の町」の推進運営母体となり、まちづくりに向けてより強固な体制が築かれました。このまちづくり会社による観光客への窓口機能の強化のために現在無料で貸し出している駐車場の有料化などが検討されています。
5.関係者の声 まちの声
「昭和の町」は地元のシンボルとなっており、豊後高田市市民が市外や県外に出た時も自慢できるまちとなっているようです。
また、かって、商店街にはコーヒーを飲めるような場所もありませんでしたが、「昭和の町」復活で、喫茶店もいくつか生まれ、多くの方が商店街の変身ぶりを喜んでいるようです。
6.取材を終えて
今回、商工会議所と市のご担当者にお話しをお伺いしましたが、お互いの一体感には驚かされました。商工会議所、市、商店街が物理的にも非常に近い距離にあり、ご本人達が言われるように豊後高田商工会議所、豊後高田市、商業者の三位一体となった協力体制が「昭和の町」復活の成功のカギのとなったようです。
また、一過性の取り組みではなく、長い間、継続して積み重ねる地道な取り組みが「昭和の町」を飽きさせず、賑わいあふれるまちとして保ち続ける要因となっているように感じました。
<取材日H22/12/16>