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中心市街地活性化協議会支援センター

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まちづくり事例

観光を通した住民による担い手づくり(沖縄県浦添市)

観光を通した住民による担い手づくり(沖縄県浦添市)

「りっか!浦添」の取り組み

「りっか」とは沖縄の方言で「一緒に行こうよ」という呼びかけを表します。浦添まで連れ立って足を運んでほしいという願いからイベント名に取り入れられました。「りっか!浦添」は、事業者ごとに立案された歴史的意味合いを込めた特別な体験プログラムを、一定期間に取りまとめて提供するものです。交流、伝統文化、知識、飲食、健康などさまざまなカテゴリーのプログラムが企画されています。
今回は一般社団法人りっか浦添 代表理事前田幸輔氏と浦添商工会議所 新垣直美氏に「りっか!浦添」について話を伺いました。

ロゴ
「りっか!浦添」のロゴマーク

取り組みに至る背景

人口115千人の沖縄県浦添市は那覇市に隣接し、ベットタウンとして人口が増え続けているまちです。この浦添市では、2018年の湾岸道路開通、2019年のゆいレールの浦添延伸、大型商業施設(サンエー浦添西海岸パルコシティ)のオープンなどまちが大きく変わろうとしています。浦添市としてもこうした変化を交流人口獲得の機会ととらえており、観光振興計画を策定して各種施策を推進中です。もともと琉球王国の中心地であった浦添は歴史も古く、多くの遺構や文化などが残されています。飲食店をはじめとした事業所が多く立地しているほか、県内でも数少ない自然海岸も保存されており、観光地の条件を満たしているように思えます。しかしながら現実は観光客に素通りされ、宿泊施設も少なく、観光経済効果は低い状況にあります。

一人当たりの費用
浦添市内だけで支出した一人当たりの費用(浦添市観光振興計画より抜粋)
滞在日数
浦添市内滞在日数(浦添市観光振興計画より抜粋)

「りっか!浦添」の誕生

浦添市は観光の恩恵にあずからないものの、沖縄県全体で見れば観光客数は右肩上がりであり、オーバーツーリズムの問題も懸念されています。とはいえ、それらが特定の場所に偏っている現状にある中で、浦添商工会議所では、民間が中心となって観光に力を入れていこうと呼びかけ、意欲のある市内事業者と対応策を検討するワークショップを開催してきました。ワークショップでは「行政に頼るのではなく、観光を民間の手に取り戻そう。」という合言葉のもと、自分たちが主体となって取り組んでいこうという機運が高まりました。ワークショップには30事業者あまりが参加し、全員が知恵を絞って全員で考えたアイディアが「りっか!浦添」の礎となっています。
「りっか!浦添」の事業目的としては、以下の5つがあげられます。

1.民間主導による観光振興策のさきがけとなる
2.多様化する観光ニーズの受け皿を目指す
3.浦添の価値を再発見できる機会をつくる
4.市内事業者が業種の垣根を越えて連携し磨きあう場をつくる
5.浦添での日常の暮らしをプロモーションする

事業を繰り返し実施することによって、5つの事業目的が定着し、やがて市民や市内事業者にとって浦添を誇りに思う気持ちが当たり前になることを目指しています。

その目的を具体的に実現する体験型イベント「りっか!浦添」は、2018年11月、浦添市全域を舞台として実験的に開催されました。イベントの中心になったのは浦添市内の事業者です。浦添商工会議所が体験プログラムを提供できる事業者を募り、34事業者(37プログラム)が参画しました。個々の事業者では分散してしまう発信力をスイミー効果により高め、取りまとめることによってブランド価値の形成を企図しています。イベント参加者は県内外から820名、メディアに取り上げられるなど大きな成果を上げました。中でもアンケートに回答いただいた参加者(450名)のうち継続的な開催について否定的な意見がまったく出ず、また、「浦添を知り、浦添に生まれてよかった」という声も寄せられるなど、参加した方々からは大変満足いただける結果となりました。

2018年活動の様子(一例)
2018年活動の様子(一例)

2回目となる2019年は前回の成功と知名度向上もあって事業が拡大しました。市内大企業であるオリオンビールも飲食事業者と連携して参画し、特に若い世代に好評を博したハッシュタグキャンペーンを展開しました。装いを新たにした2019年の「りっか!浦添」は、県内外から5,472名(前年比6.7倍)もの参加者を呼び込むことにつなげました。

キャンペーンチラシ
「オリオンビール×りっか!浦添」キャンペーンチラシ
2019年プログラム一例
2019年「りっか!浦添」プログラム一例

今後の課題

2018年から始まった「りっか!浦添」の今後の課題は、継続・拡大・進化の3者を並立していくことです。

実験的な開催だった2018年は、浦添商工会議所が主体となり、日本商工会議所の補助金を活用して実施しました。しかし補助金を前提に事業を組んでしまっては、仮に補助金が得られなくなってしまった場合に継続できなくなってしまいます。そのため、前田氏を中心とした有志8名で一般社団法人りっか浦添を設立し、会費や寄付金、協賛広告などを募って原資を蓄え、2019年の「りっか!浦添」は一般社団法人が主催しています。事業目的でも触れましたが、「りっか!浦添」は繰り返し実施していくことで市内外に浦添の価値を発信していきます。ただ単に継続するだけでなく、認知度が高まれば参加者が増え、リピーターを維持するには新たな試みが不可欠となります。そのためには原資のみならずマンパワーも必要となりますが、現在の組織規模で、さらにメンバー全員が兼業のボランタリーで、それを賄いきれるかという点に課題意識を持っています。

2019年の「りっか!浦添」でも、参加者のアンケートでは99.2%が満足という評価をいただいきました。参加さえしてもらえれば満足してもらえる自信がついたと同時に、さらに多くの方々に参加してもらうための仕掛けが必要と考えています。観光目的でもあるので、将来的には沖縄外部から誘客することを目標としていますが、まずは浦添市民が浦添市の歴史を知り、愛着を深めてくれることを目指しています。「りっか!浦添」を契機とした市民の変化が「りっか!浦添」の担い手を育てることにつながり、また、観光まちづくりを進める浦添市の土台になるものと期待しています。

浦添市概要

古き時代には「うらおそい」と呼ばれていた浦添市。今から約600年前にこの浦添から琉球国中山は生まれたと言われています。当時の浦添は、今の宜野湾市のほぼ全域と、西原、那覇の一部を含み、水田が広がる豊かな土地で、さらに那覇港や牧港などの貿易港も控えていたと言われています。浦添では12世紀半ば頃から、舜天王・英祖王・察度王と続く3つの王統が興り、約250年にわたって本島中部一帯を支配下に置いていました。

14世紀には浦添グスクを拠点に勢力を拡大し、琉球史上初めて、中国(明)と公式に貿易を始めたと言われていますが、残念ながら1406年、後に琉球統一を果たす尚巴志によって滅ぼされてしまいます。王都は首里に移り浦添は地方の一間切となり、近世に間切の再編が行われ、今の市域の原形ができました。浦添グスクは去る沖縄戦の被害や戦後の採石等により、かつての姿を失ってしまいましたが、北側崖下にある王陵・浦添ようどれは復元事業によってよみがえりました。現在は、浦添グスクの復元事業を進めているところです。浦添グスク・ようどれ館では、古写真や発掘調査の様子から歴史を学ぶことができます。
(「浦添市市勢要覧2018」より抜粋)