伝統家具のまちを進化させ、人気スポットに大ブレイク
- 場所:
- 大阪府大阪市・堀江立花通
- 分類:
- 【空き店舗・空きビル】【情報発信】【イベント】
- 人口:
- 266.5万人
- 協議会:
- なし
- 実施主体:
- 堀江立花通ユニオン
今回、ご紹介する堀江立花通は、大阪のほぼ中心にあり難波、心斎橋、アメリカ村等の人気スポットに隣接するエリアで、老舗の家具屋が軒を連ねる通りだったものが、大阪の新しいトレンドスポットに変わり注目されています。現在は、家具・インテリア店が大胆な業態変換を図り魅力ある店舗展開をしている一方、数々のファッション店や飲食店が軒を連ね、毎日大勢の若者たちで賑わっています。
歴史ある家具の商店街が衰退
大阪・堀江地区の立花通は、江戸末期から、関西有数の家具・仏壇のまちとして知られていました。高度成長期を経た1980年代になっても50店以上のお店が並んでいましたが、生活様式の変化やファッション性といった時代の流れについて行けずに衰退の一途を辿り、まちの壊滅の危機さえ感じる状況になりました。
活気あるまちへ大改造計画に取組む
こうした状況を打破しようと立ち上がったのが家具商店街の若手後継者たちでした。
「隣のアメリカ村は若者があふれている理由は何だろうか。堀江のまちに何とか人を呼び込みたい!堀江のまちをブランド化したい!」と、1991年に商店主2世達を中心に「立花通活性化委員会」を発足し、街を若返らせるための作戦に転じました。商店街の大改造計画を立案し、それに基づき次のような取組を開始しました。
(1)「立花通商店会」の愛称を新聞で公募
1992年に1000通の応募の中から「立花通り」の新しい愛称を江戸時代「立花」を「橘」と書いたこともあり「オレンジストリート」と決定する。アーケードの入口看板も「TATIBANA ORENGI STREET」にリニューアルを実施しました。
(2)国内外の活気エリアで活性化のヒントをゲット
「立花通活性化委員会」は、公的支援策を活用し、国内・海外の活気ある商店街や家具店街を視察し、アンティーク家具の街として世界的にも有名なイギリスの「ポートベロー」や「カムデンロック」が、最も堀江の将来像イメージを大きくふくらませてくれました。
この2都市で実施されていた"アンティークのフリーマーケット"にヒントをもらい、1992年にオレンジストリートに点在する駐車場を活用した若者向けの「フリーマーケット」を試験的に開催したところ、2000人を集める大成功をおさめました。
当日は"ジャズストリートライブ"や"スタンプラリー"、"若手アーティスト達によるライブペインティング"等を組み合わせて同時に開催をしました。まちを何とか盛り上げたいという人々の想いを集めた"フリーマーケット"は、大好評で第2日曜に定期開催し、多い時は6000人も集まる名物イベントになっていました。
こうした盛り上げの効果か、その後、マンションや店舗が建設されたことで、フリマ開催の空き地がなくなり2000年に終了しました。
(3)ベストカップルコンテストの開催
これらの取り組みにより「オレンジストリート」への客足は確実に増えたものの、家具の売れ行きの増加に直結したわけではありませんでした。
次の効果をあげられるイベントとして1994年から、新たにその年に結婚を予定しているカップルを対象に"総額100万円の家具をプレゼント"とうたい「ベストカップルコンテスト」を開始しました。
従来から婚礼家具を多く扱っていた立花通りは、その年の結婚予定カップルに2人の写真とプロフィール、プロポーズの言葉を添えて街頭に張り出し、フリーマーケットに集まったお客さんに投票してもらうというものです。このコンテストには、第1回目から227組のカップルが応募があり、若者に向けた「家具の街」をアピールするものでした。
「いい店誘致活動」により魅力ある店が立地しエリアは大ブレイク
フリーマーケット開始にあたり、年間50回以上の会合を重ねてきた中で、「いい店があれば人は集まる」という当たり前の結論に気がつきました。
早速、若手経営者達がいい店の誘致活動を開始し、1998年に廃業家具店ビルへのフランスの人気ブティックの出店をきっかけに、まちがブレイクし始めました。そのオープンが弾みとなり、空き店舗や倉庫に洒落た店が次々とオープン、この3年間の新規出店は、現在の約300店舗の内の約80%近くを占めています。この驚異的な出店ペースは継続中です。
現在の堀江地区は、老舗の飲食店や家具店が点在する中に、海外のデザイナーズブランドショップやアメリカの古着店、個性的な家具・インテリアショップ、センスのよい雑貨店、カフェ、洒落た飲食店等の時代をリードするショップが立ち並ぶ魅力あるゾーンとなり、20代の女性層を中心に10代から30代の幅広い層が訪れるまちになっています。
活性化へのステップとして「堀江立花通ユニオン」を設立
堀江が有名になる一方で、ゴミや騒音などの環境問題も起きてきました。
地元商業者は「堀江を人の住めないまちにしたくない」と、2002年に地元商店や町内会、不動産業者などを巻き込み、まちづくりを考える「堀江ユニオン」(堀江街づくり活性化連盟)を立ち上げました。
「堀江ユニオン」は上質で文化味のある大人の街を目指し、自主的なビジネス規律を決め、環境改善運動等に取り組んでいます。
また、組織的にも今まで「立花商店会(任意団体)」とその中で家具店のみで構成する業種組合である「協同組合立花通家具秀撰会」とのコラボレーションでの活動でしたが、あらゆる業種が参加しやすく、かつ、通りの範囲を拡げ、面としての活性化を促すためのエリアマネジメントの組織体制整備でもありました。
2004年4月には立花商店会との合併により「堀江立花通ユニオン」となりました。
ユニオンの主な事業計画
主な項目は次の5つになります。
会員拡大
会員交流・情報収集
渉外対策
環境整備
イベント広報販促 等。
その具体的な活動の一部をご紹介します。
会員交流・情報収集
若手経営者やユニオン未参加経営者を主な対象として年2回ほどフォーラムを開催。ライブ等と同時にフォーラムを開催し、商工会議所のまちづくり講習会や堀江のTV取材VTRを活用した広報等や若手経営者間の交流とユニオンへの理解を深め、参加を促す。
イベント広報販促
「堀江・立花通家具デザインコンペ」を実施。地元の美大やネットで呼びかけ、家具デザインを公募。2007年は、428デザイン作品の応募があり、ユニオンが10優秀作品を制作し、音楽祭等のイベント開催等に合わせ展示。1人3票を持ち札とし、一般公開審査により決定。こうしたコンペにより建築・カフェ・家具の分野で有名人を排出。
堀江立花通活性化のポイント
ここまで、「堀江立花通」のまちづくりの取り組みを紹介してきました。
「堀江立花通」の活性化には、いくつかのポイントが考えられます。その理由の主な項目を挙げてみます。
(1)リーダーの存在
2世経営者のリーダーとして堀江立花通ユニオン会長は、「お金は出し、口は出すな、結果は求めるな」と先代達とユニオンでの活動との間に距離を持たせるとともに「一番は通りに人を呼び戻すこと」「そのために知恵を絞ること」と目標を明確に示しました。多くのまちでは空き店舗を埋めることに奔走し、結果として人通りは全く増えないという話しをよく聞きます。空き店舗を埋めることが大切なのではなく、まちに賑わいが戻るかどうかが重要という、わかりやすい目標を掲げました。この目標に向かい効果的に様々なイベントを仕掛け成功させることが「堀江立花通」のまちづくりの進め方でした。
(2)他都市との差別化には強いこだわりと個性のあるものをまちに盛り込むことが重要
あらゆるネットワークを駆使し、差別化された魅力のあるものを呼ぶ工夫が必要です。まちづくりに関わるキーマンたちが強いこだわりを持つことにより、こうした個性のあるまちが出来上がっていったのだと思われます。「堀江立花通」の場合、全く新しいまちをつくったのではなく、家具というこれまでの遺伝子を残しながらも家具を進化させながら、時代とお客様のニーズに合わせて新しい機能を付加して見事に変身を遂げました。
(3)頑張っている地域には必ず行動派・知恵袋の人材が存在
頑張っている地域には必ず行動派や知恵袋や人材がいます。資金は少なくても、行動力と知恵を駆使すればまちづくりは可能なことを、証明しているような堀江の事例です。
(4)公的助成も上手に活用
資金が潤沢ではない環境でのイベント等の取組は、我がまちに合う企画を、公的助成対象となるメニューを上手に活用することも大事です。
(5)次世代の人材養成が鍵
今後の課題は次世代の人材育成が重要です。"堀江・立花通家具デザインコンペ"には既に多数の三世が行事運営に携わり、育成に向けた活動が開始され、今後の展開が楽しみです。