
復興の先にある笑顔のために
~ベテランが見守り、若手がつくる未来~(石川県輪島市門前町)
石川県輪島市門前町(もんぜんまち)は石川県の能登半島北西部に位置し、1321年に開創された曹洞宗の本山である、總持寺の門前町として栄えた地域です。
2007(平成19)年の能登地震では震度6強、2024(令和6)年元日の地震では震度7の揺れが襲い、さらに同年9月の豪雨と、度重なる大災害に見舞われました。
同町の總持寺通り商店街(総持寺通り協同組合)では2024年の地震で約3分の2の店舗が全壊または大規模半壊し、總持寺祖院では境内にある30棟以上の建物で損傷が確認されました。
そのような中、總持寺通り商店街のほとんどのお店が事業継続を決めました。その中のいくつかのお店は3か所の仮設店舗で営業を再開し、復興に向けて前に進んでいます。今回、總持寺祖院、門前町のまちづくり中心メンバー、仮設店舗に出店した商店主等を取材し、地域や復興まちづくりに向けた想いなどを取材しました。
【輪島市門前町の皆さん】
出典:總持寺通り商店街公式サイト https://www.sojiji-st.com/ 總持寺通り商店街公式サイト
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(目次)
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【震災後の商店街、輪島市門前町周辺の状況】
写真は2024年8月から9月、震災から約半年が経過した頃のものです。
總持寺通り商店街 倒壊した家屋 商店街 家屋被害
商店街 家屋被害 地盤隆起で露出した海底 地盤隆起で海面が下がった鹿磯漁港
門前町は輪島市復興まちづくり計画において、市街地ゾーンの中の地域拠点のひとつに選ばれました。行政が中心となり、住まいや日常生活に必要な機能を備えた拠点となる構想があり、復興に向けて少しずつ動き出しています。
1.總持寺祖院と商店街とまちづくり
1898(明治31)年の大火を契機に本山は横浜市の鶴見区に移転しましたが、現在でも能登祖廟(そびょう)として、また坐禅修行の道場として、重要な位置づけの寺院です。町名の「門前町」はその名残りで、總持寺通り商店街は總持寺とともに発展してきました。
總持寺祖院には国や県などの文化財が多くあり、観光客も多く訪れる寺院ですが、地元住民にとっては身近な存在であり、「本山(ほんざん)さん」と呼ばれ、親しまれています。「境内で遊んだ」、「寺の中を通って門前高校に通った」など、地域の皆さんが語ってくれた日常の思い出に必ず登場する存在です。また、震災前は地域のイベントに寺が参加したり、法要の際に地元商店が境内に出店したりと、互いに協力し合ってきました。
2007(平成19)年能登地震の被災から、開創700年に当たる2021(令和3)年に完全復興を記念した落慶式を営んだばかりの2024年地震で、寺院内はまたしても大きな被害を受けました。倒壊などした建物は文化財が多いためすぐには撤去することもできず、被災したままの状態が続きましたが、2024年12月に總持寺祖院が国の重要文化財に指定され、地域の住民は早期復旧に期待を寄せています。
震災前 總持寺祖院 境内
(画像出所:總持寺公式サイト)震災後 總持寺祖院 境内 震災後 總持寺祖院 山門
◆「寺がまちを、まちが寺を想う」曹洞宗 大本山總持寺祖院 副監院兼副寺 髙島弘成氏
「絶望—」。
總持寺祖院の髙島副監院は、今回の震災を一言で表現しました。
「2021年の復興にいたるまで、どれほどの苦労があったのかを私はよく理解しています。だからこそ、今回の震災がどれほど絶望的な状況かわかりました」。前回2007年の震災直後、復旧・復興業務を担当していたのは師匠でもある髙島さんの父親でした。当時、師匠の苦労を誰よりも近くで見ていました。
今回、境内にある30棟以上の建造物で損傷が確認されました。被害の大きさは2007年以上で、再建の見通しは立たず、崩壊したままで何もできない日々が続きました。
瓦礫を拾う日々に、一筋の光が差しました。2024年12月、總持寺祖院の主要な16棟の建造物が国の重要文化財に指定されました。髙島さんは「ようやく、ようやく光が見えた。復興が現実味を帯びてきた」と言います。
髙島さんは復興を目指すにあたって、まちとの関係性を見直しました。「従来の形では復興は無理だと感じました。これまでは寺院は寺院としての役割を果たし、まちも同様に機能していた。それでもそれなりの形にはなっていました。ただ、今回を機に本気でまちづくりを考えるようになりました。門前のシンボル・心の拠り所と言われている總持寺祖院が、まちと寄り添わなければと思っています。門前は『まちがあっての寺、寺があってのまち』だと」(髙島さん)。
髙島さんは現在、地域の会議に積極的に参加し、商店街のチャットグループでも意見を述べているといいます。「今は自治体も余裕がなく、寺もまちも自ら何ができるか模索しています。まちと共に、持続可能な視点から自立したまちづくりを推進していきたい」と述べました。
髙島弘成氏 震災後 總持寺祖院 会議後の集合写真
2.復興の先にある笑顔のために
復興に向けて、まちづくりの中心人物や店主から、地域への想い等をお聞きしました。
◆「新たにつくっていく」 総持寺通り協同組合 代表理事 能村武文氏
衣料品店「のむらや」を営んでいる能村武文さんは、総持寺通り協同組合の代表理事として、商店街の復興に向けて旗振り役を務めています。震災により、協同組合に加盟する34店舗のうち20店舗が営業できない状況になりましたが、幸いなことにほとんどのお店が事業継続を決めています。「今回の地震でゼロになったと思っている。新たにつくっていくしかない」と、能村さん。
以前、門前町商工会が実施した観光客向けのアンケートでは、「温かい」、「押しつけがましさがなく、ほっとする」、「また来たい」といった商店街へのコメントが多くあったそうです。そうした門前町の良さを維持しながら、観光需要を考えていくことは勿論のこと、特に年配の人が多い地元の住民向けに、近くで買い物できる場所としての機能も維持することが必要だ、と考えています。
能村武文氏 仮設店舗の様子(のむらや) 禅の里交流館にて
◆「門前町の良いところを残したい」 禅の里交流館 宮下杏里氏
地元出身の宮下杏里さんは、社会人になったあと一旦門前町を離れましたが、2021年の總持寺祖院開創700年に合わせ、まちづくりに携わろうと地元に戻りました。現在は禅の里交流館の管理部長を務めるほか、總持寺祖院の広報を担い、SNSで能登の魅力を発信するなど、門前町まちづくりの中心メンバーの一人であり、ムードメーカーでもあります。
地元の門前高校生が商店街やまちづくり活動に取り組む際の助言役でもあり、宮下さんのサポートにより、商店街のゆるキャラ考案、YouTube「門高生チャンネル」制作、商品開発など、様々な取り組みを実現してきました。「門前町には放課後遊びに行く場所がない=つまらないと思わせたくなくて。通常の高校生活では味わえないことを体感させたい」。そうした想いから、高校関係者が異動しても途切れないよう、こうした活動を科目に組み込むよう働きかけ、現在も継続しています。
宮下さんは、高校に進学した際に金沢で感じたカルチャーショックのエピソードを語ってくれました。
「門前では地元の人でも観光客でも、道行く人に挨拶するのは当たり前。それが金沢で“おはようございます”と声をかけたら無視されて」。知らない人には挨拶をしないのが普通だということに驚いたといいます。道行く人が気軽に挨拶できる門前町の良さを再発見し、「地震の時も、この関係性だから支えあえた」と、振り返りました。
また、總持寺通り商店街には、観光客に対して積極的な売り込み等をしないのんびりした雰囲気があり、それも魅力だと、宮下さんは感じています。「門前の雰囲気を守りつつ、みんなが誘い合って商店街に遊びにいくような場所にするためどうしたらいいか。今後のまちづくり、復興に向けて考えたい」と語りました。
宮下杏里氏 まちづくりの構想を語る宮下氏 様々な会議の中心メンバーでもある
◆「若い子が起業できる環境をつくりたい」 食事処縁(えにし) 安田真奈美氏
食事処「縁」は、門前町の鹿磯(かいそ)漁港から仕入れた新鮮な刺身料理、能登牛のロースビーフ丼など、能登の食材を使った料理店として営業していました。店舗は被災し、現在は仮設店舗で営業を継続しています。
同店は地元ホテルの料理長だった夫の俊英氏さんが始めました。「働き盛りの時に安定を捨て田舎で商売をはじめるのだから腹をくくろう。田舎でも稼げることを周りの人に結果として見せていこう」と真奈美さんは俊英さんと話し合ったそうです。
「私たちの世代は、親からここにいても発展性がないから外へ出て行きなさいと言われて、学ぶために外に出ていった。親は本心では戻ってきて欲しいけれど、絶対にそう言わないから、結局みんな新たな場所で居ついて地元には戻らない。それが門前では繰り返されてきた」と真奈美さん。
若い世代に門前町でも可能性があることを少しでも感じてほしい、残ることも選択肢の一つにして欲しいという想いがあり、門前高校の外部授業で自分たちがお店を立ち上げてきた経験を話しています。
「今はチャンス。災害の関係で、通常なら来ないような国の人や専門家など、様々な人が全国から人が来て教えてくれる。被災地だから、門前高校だから学べないのではない、それ以上のことがある」と子供たちに話しているそうです。
来年店舗を新築し、宿泊と地元食材を使った飲食を楽しめる料理旅館を開業する予定です。その姿を周囲に見せていきたいと、真奈美さんは明るい笑顔で今後の抱負を語ってくれました。
安田真奈美氏(右) 食事処縁のランチメニューおまかせ定食 安田俊英氏
◆「若いメンバーに期待」 総持寺通り協同組合副理事 五十嵐義憲氏
「門前薬局」を営む五十嵐義憲さんは、総持寺通り協同組合の副理事で、かつて代表理事も務めました。代表理事の時代には、今も門前町で販売されているお土産をつくるなど、商店街の振興に努めてきました。
昭和40年頃の門前町は観光客や行商人なども多く、交通の関係で宿泊する人が多かったそうです。車社会になってから宿泊需要は減り、商店街から店舗が減少してきた歴史を見ています。
「昔みたいにお店が並んでほしい気持ちもあるが、利益の出る商売でないと続かない。次に繋げられるお店、人が集まる通りであってほしい」と五十嵐さん。まだまだお店は続けます、とも。
シモグチの下口氏、縁の安田氏といった商店街の中心メンバーの名前に触れ、「彼らが頑張る姿をみて、“自分もできる”と思ってくれる人が増えると思う」と期待しています。
五十嵐義憲氏 商店街振興のための打合せ風景
◆「地域の人が困らないよう、お店を続けたい」 幸福さん店主 平田れつ子氏
「幸福さん」は100年以上の歴史がある日用品のお店です。總持寺の文献には油屋としての記録があり、過去帳からは江戸時代末期には商売していることが確認できるといいます。ちなみに店名の由来は、お客様が幸せになるように「幸福」、ここはお客様のお店で自分たちは働かせてもらっているから「さん」をつけたそうです。
震災により旧店舗は営業できなくなり、仮設店舗に入居しました。旧店舗の解体が進んだら、元の場所で店舗を再築して営業する予定です。
震災で負傷して金沢の病院に入院した平田れつ子さんは、そのまま金沢の娘さん宅に避難していました。仮設店舗での営業再開を決めて門前町に戻ろうとしたとき、お孫さんから「なぜ能登に帰るのか、なぜお店をするのか」と引き留められたそうです。「儲からないけれどお店をやるのが楽しい、人と話すのが楽しい」と話したところ納得してくれた、というエピソードを語ってくれました。
仮設店舗のプレオープンで集まったお客さんと再会を喜び合い、楽しそうに接客をする姿がとても印象的でした。
平田れつ子氏 接客の様子 幸福さん(仮設店舗)
◆「つながりを深め、双方の機能を引き出す」シモグチ洋品店 下口十吾氏
商店街の北側玄関口に位置する衣料品店。下口十吾さんは門前町に生まれ、3代目店主として2021年に後を継ぎました。2007年震災で店舗が全壊した経験を踏まえ、より耐震性の高い鉄骨作りにしていたことから、今回は倒壊を免れました。
2024年1月10日、早朝。お風呂の供給がはじまると「下着やパジャマを求めるお客さんがお店の前に集まっていました。急遽、朝9時に開店を早めることにしました(下口さん)」。早期の営業開始はまちに勇気を与え、マスコミでも取り上げられています。
下口氏はYouTube(*)で被災状況を発信したり、門前町観光協会の会長としてクラウドファンディングで復興資金を集めたりと、精力的に活動しています。
今後の門前町について「まちと寺、個々で考えるのは限界があると実感しました。門前町は總持寺祖院の存在が重要であるからこそ、双方のつながりを深め、活かしきれていなかった機能を最大限に引き出していきたい」
下口十吾氏 観光協会会長としても精力的に活動 店舗前にて
*下口さんのYoutubeチャンネルでは、能登半島地震発生直後から記録をUPし続けています。
下口十吾さんのYoutubeチャンネル 別ウィンドウで開きます
3.復興に向けて
「禅の里交流館」(以下、交流館)は、總持寺や門前町の文化・歴史を紹介するほか、貴重な歴史的資料を多数展示している施設です。震災後は住民同士が話をしながら食事をしたり、支援物資の配給を受けられる交流拠点となっており、震災ボランティアもここを中心に活動しています。また、毎週金曜日バラバラの暮らしをしている住民が集まれるサロンが開かれるほか、門前マルシェの際にはイベントの会場にもなります。
交流館は門前マルシェの会場にもなる
(門前マルシェの様子)
交流館内に設置された支援物資 金沢医大病院薬剤部による
健康・お薬相談
取材で訪問した際、交流館の中には将来に向けた地図が掲示されていました。日本都市計画家協会の協力のもと、地元の青年会を中心に行ったワークショップで出た意見だということです。ワークショップの付箋には将来に向けた前向きな意見が書かれており、皆さんの地域愛を感じました。現在も引き続き、検討を進めています。
門前町のこれからを考えるワークショップでつくられた地図
10月12日(土)には仮設店舗(*1)に入居する7店舗のプレオープンにあわせて「門前マルシェ(*2)」も開催され、商店街には久しぶりに会う人たちの喜びの声が賑やかに響いていました。
仮設店舗 仮設店舗 仮設店舗のプレート
門前マルシェでは、お団子や門前そば等の出店、門前高生が授業で生産したトマトやピーマンを使った「門前トースト」の販売もありました。
(*1)仮設店舗は、被災された事業者の皆様の事業再開の場としてご活用いただくため、輪島市と中小機構が共同で整備しました。
(*2)門前マルシェは、総持寺通り協同組合がまちの賑わいにつなげようと2021年より始めました。毎月第2土曜に開催しています。(2024年1月~5月は開催なし)
11月9日(土)には、豪雨災害で延期となっていた「門前仮設店舗オープニングセレモニー」が行われ、小学校児童による鼓笛隊がまちを練り歩き、オープニングイベントを盛り上げました。
当日、ワークショップ第2弾として、まちの人から意見を聞くためのボードが設置されていました。ワークショップ等での意見をもとに新たなビジョンをつくり、少しずつ商店街の復興に向けて歩み出しています。

4.取材を終えて
總持寺通り商店街を歩いていると、すれ違った門前高生が明るく挨拶をしてくれます。
仮設店舗のプレオープンでは「よかった、元気そうやね」と再会を喜ぶ声が聞かれ、總持寺通り商店街は、商業機能としてだけではなく、人が交流する「場」として重要な役割を担っているのだと感じました。
いま、商店街ではビジョンを作りながら、復興に向けた取り組みを進めています。復興を早めるためにはビジョンとともに、いろいろな人が能登を訪れて、現地で商店街の人と触れ合ってもらうことが一番だと感じます。
輪島市門前町の皆さんは、「来て欲しい、今の門前町を知って欲しい」と、情報を発信しています。
是非、總持寺通り商店街を訪れて、見て、知って欲しいと思います。訪れる人が増えていけば、それが地域の人への励ましになり、復興の後押しになると思います。中小機構では、引き続き復興に向けて様々な支援を行っていきます。