
つながりを生み続け進化していく「タタタハウス」の取り組み(東京都世田谷区)
タタタハウスは、東京都世田谷区の東急大井町線尾山台駅の商店街「ハッピーロード尾山台」にある店舗です。店舗といっても実際の事業内容は多岐に渡り、小売・飲食・レンタルスペースの提供など様々な事業を行う“まちの縁側“です。
機能面においても、商店街の課題解決の場としての役割、ふらっと立ち寄る縁側としての役割、人と人とをつなぐ場としての役割など、多くの役割を果たしています。
今回はそんなタタタハウスを運営する、高野雄太氏にお話を伺いました。


目次
1.ハッピーロード尾山台について
ハッピーロード尾山台(尾山台商栄会商店街)は、全長約350mの通りに約150店舗が立ち並ぶ、観光客も訪れるにぎやかな商店街です。尾山台駅は東京都市大学の最寄り駅でもあり、二子玉川と自由が丘という2つの商業集積の中間に位置します。
東京都世田谷区といえば、今は高級住宅街といったイメージですが、100年前は人口もまばらで、農村・沼地が広がっていました。住宅街化を目的として1927年に大井町線が開通し、住民に向けて商店街が生まれてきました。
この商店街は1949年に尾山台商栄会として発足。1979年に法人化し、尾山台商栄会商店街振興組合となりました。1983年、世田谷区ショッピングプロムナード整備事業計画にいち早く参加を表明し、商店街道路改造計画の検討を開始、現在の雰囲気ある「石畳と街路樹の商店街」を形成しました。
2.タタタハウスの沿革と理念
タタタハウスの前身は、66年前に初代が開業した「タカノ洋品店」です。学校の体操着や、お年寄りの肌着などを売るお店でした。2代目の美恵子氏が洋品部門だけでなく化粧品や文房具など取扱商品を増やし、地域に必要な店として拡張しました。そして3代目の高野氏がリノベーションを行い、2022年4月より現在の「タタタハウス」となりました。
36年前の石畳が完成したとき、高野氏は幼稚園に通っていたそうです。あらゆる関係者の合意が必要な大変な作業であったものの、祖父母の世代が「未来のまちのため」と思って成し遂げ、そしていまの自分たちの良い暮らしがあるといいます。
30歳になったころ、そんな先人たちの築いてきた魅力ある尾山台のまちを、今度は自分が次の世代に引き継ぐ役割になりたいと考えたそうです。
高野氏はまちづくりにおいて、自分たちが主体性を持って「共創」し、どのようなまちにしたいかその時々で考えていくことを大切にしているそうです。
タタタハウスのリノベーションにおいても、まちの人々とプロセスを共有するため、あえて時間と手間をかける方法を選びました。プロの大工さんは1人しか入れず、まちの人たちや子どもたち、高野氏自らが作業を行いました。

出所:尾山台商店街X

出所:おやまちプロジェクトFacebook

店舗は今でも高野氏が日曜大工で日々手を加え続けている。

7年前に街で1軒の文具屋が閉店。子どもから急に「明日学校で絵の具を使う!」と言われて困ってしまう保護者たちの声をくみとり、文具類も取り扱うようになる。
タタタハウスには様々な機能があります。取材当日にも、いつでもだれもが立ち寄る様子を見ることができました。何人もの大人が打ち合わせをしている傍ら、乳幼児2人を連れた女性が入店し、1~2時間ゆっくりと滞在していきました。また買い物客や学生も出入りしていました。

親子がいつでも来て遊ぶことができるように、店内には常におもちゃを置いている。

美代子氏と話すために訪れる奥様方も多くいらっしゃるそう。
3.学生たちとのとりくみ
(1)大学との連携
タタタハウスの2階スペースは、東京都市大学に貸し出し、坂倉杏介先生のコミュニティマネジメント研究室を中心とした『おやまちリビングラボ』が入居しています。
はじまりは「商店街の課題を一緒に考えてくれる大学の先生はいないか…」と考えていた高野氏と、坂倉先生が8年前に出会ったことです。
いま先生のゼミでは、歩行者天国の時間帯に、通りに人工芝を敷いてパブリックスペースにする社会実験や、商店街の人たちにヒアリングを行い「理想のまち」をまとめるなど、商店街と密接にかかわる取り組みを行っています。

出所:おやまちプロジェクトFacebook

奥のスペースでは学生たちがパソコンに向かっていた。
「目的地まで移動する人たちが商店街を通過するのではなく、立ち止まる場としたい」、そんな商店街の課題を高野氏と大学生がともに考えていくサイクルができたのです。
高野氏は、「大学生がただそこに居る、ということでもたらされる効果は大きい」と話します。若いお兄さん・お姉さんがいると、まずは小さな子どもや小学生が自然と吸い寄せられます。そして大人も若い人がそこにいると話しかけたくなります。さらには若い人に話しかけられるのは誰でも嫌な気がしない、とう好循環が生まれます。大学生がそこにいるだけで、タタタハウスがまちのハブになるといいます。
(2)小学校とのとの連携
2022年3月、『6年生が地域とつながる尾山台マルシェ』(おやまる)を開催しました。尾山台小学校の6年生がキャリア教育の一環で「働くことを実感できる授業」を体験するため、歩行者天国でマルシェを開催しました。商店街からの協力店舗数は約20店舗にも及んだそうです。
3年前のある日、学校の先生から高野氏に電話があったことにより、この授業の計画がはじまりました。話をしていく中で、当日の販売を手伝うだけではお店屋さんごっこになってしまうという考えに至り、マルシェ開催までの準備も行うことになりました。店への出店交渉からポップ・ポスターづくり、飲食店での下ごしらえといった準備もこの授業の一環で行っています。
3年前にマルシェに参加し小学生の中には、それをきっかけに商店街が好きになり、今でも時々遊びに来ては「何か手伝えることはない?」と言ってくれる子もいるそうです。
高野氏はかつて小学校のPTA会長も務めていました。校長先生とは今でも意識して普段から交流を持つようにしているといいます。こうした高野氏の長年の取り組みが、尾山台マルシェという授業につながったのではないでしょうか。

出所:おやまちプロジェクトFacebook

読書や美術、ランニングなど趣味で学校の部活のようにつながる。
4.おやまちプロジェクトについて
高野氏は、2017年に商店街とは全く別に「一般社団法人おやまちプロジェクト」を立ち上げています。東京都市大学の坂倉教授、慶應大大学院の神武教授、尾山台小学校の渡部校長(当時)、高野氏ら4名が発起人となりました。尾山台周辺で、商店街・小中学校・大学・地域住民と、様々な人たちが垣根を越えて集まるコミュニティ運営が目的です。
公式サイト:
https://oyamachi.org 別ウィンドウで開きます
現在、同時進行しているプロジェクトは小さなものも含めて25程度にものぼります。月2~3回開催している飲み会「Barおやまち」、東京に出てきて一人暮らしをしている若者のための交流会「ひとり暮らしご飯会」、大学生がメニューを考え毎週水曜日に運営するカフェ「タタタカフェラボラトリー」、趣味を通して交流する尾山台の部活「おやまだい部」、飲み会での自由な会話からやってみたい、という話になり発足した子ども食堂「カレー食堂」など、世代や属性の違った人たちが次々と交流します。

出所:おやまちプロジェクトFacebook
5.ニッポンタタタのとりくみ
タタタハウスでは、地域内にとどまらず、全国の商店街とも交わる取り組みを行っています。2024年10月6日より、地域の人たちが関係づくりをするためのイベント「ニッポンタタタ」をスタートしました。
初回では山形県金山町(地域おこし協力隊の方が参加)、愛媛県伊予市(同)、愛媛県西予市、愛媛県内子町、鹿児島県さつま町(同)、鹿児島県枕崎市(同)の6地域が参加し、それぞれのまちの商品や食材を販売しました。夜の時間帯には全国の食べ物を少しずつ味見できる「日本タタタプレート」がふるまわれました。
このプロジェクトは、尾山台以外にも日本全国に豊かな「いい暮らし」があり、そんな暮らしを多くの人に知ってもらうことが出来たらという、高野氏の思いからはじまっています。「タタタハウスは裏側で全国につながっている」がコンセプトになっています。
現在、タタタハウスでイベントを行った地域はのべ20地域以上となっており、全国の商店街の新たなハブになろうとしています。


6.取材を終えて
わずか数年の間に数多くのプロジェクトが生まれており、すべてを記事にすることは難しいとわかりました。
しかし、そのスピード感が新陳代謝を生み、人と人とをつなげ、コミュニティ同士をつなげ、誰でも気軽に立ち寄れる居心地の良い空間を維持し続けているのだと感じます。
高野氏は、商店街を「消費するための商店街から、暮らしを豊かにするための商店街に進化したい」と話します。誰かが主体となって牽引しものごとを行うのではなく、参加する人たちと一緒に作り上げていくスタイルです。お伺いしたすべてプロジェクトに、この思いが一貫して感じられました。
2024年6月には、おやまちプロジェクトのメンバーや商店街メンバーなどの多様な人材が参加して、まちづくり会社「おやまだい株式会社」を設立し、また新しいつながりを生み出しています。
今後もまちの拠点、ハブとなりながら進化しつづけるタタタハウスの取組に、引き続き注目したいと思います。