インバウンド事業構築(和歌山県田辺市)
- 課題
- 世界遺産登録の機会に対する戦略の構築
インバウンド事業構築
【田辺市の概況】
田辺市は紀伊半島西部に位置する和歌山県第二の都市であり、人口7.4万人の紀南地方の中心都市です。紀伊半島に沿って走るJR特急で大阪まで2時間、車でも高速道路を使用すれば約2時間で行くことができます。
近畿最大の面積を有する田辺市は梅、ミカン、海産物など豊富な地域資源に恵まれています。
2005年に田辺市、龍神村、中辺路町、大塔村、本宮町の市町村合併が行われ、新田辺市が誕生しています。
この田辺市では合併の1年前、2004年に熊野古道(くまのこどう)が世界文化遺産登録されました。
熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称で、熊野参詣道ともよばれます。紀伊半島に位置し、道は三重県、奈良県、和歌山県、大阪府にまたがります。
今回は、この熊野古道という世界遺産をインバウンドに結びつけ成果を出されている一般社団法人田辺市熊野ツーリズムビューローの多田稔子会長にお話を伺いました。
【世界遺産登録による機会の活用】
熊野古道の世界遺産登録に際し、合併前の各市町村に存在した観光協会は合併されませんでした。 世界遺産登録直後は訪問客が増えるというバブルがあります。そのような大きなビジネスチャンスがある中、登録直後の観光客増加のタイミングを見過ごすことはもったいない、世界に向けて情報発信しよう、 と新田辺市内の観光協会が集まり観光の戦略を組み立てたことが最初の取り組みです。
実際、世界遺産登録直後には予想通り観光客は増えましたが、課題が明確になりました。
団体客がバスで乗りつけ、短時間で移動するケースが圧倒的であり、これでは熊野古道の魅力が伝えられない。せっかく来られる方にとっても熊野古道の本当の良さ、価値をわからずに帰ってしまうことは不幸なことです。また、迎え入れる地元住民もストレスが溜まってきます。人が増えることでの支障、文化やマナーの違い、特に外国の方に不慣れな方も多く、コミュニケーションが取れない、などの課題に取り組みました。
そのような課題を解決する手段として、観光協会が会員となって2006年4月に田辺市熊野ツーリズムビューローが立ち上がりました。
【観光客視点での施策】
田辺市熊野ツーリズムビューローを立ち上げ、最初に行ったことがターゲットの選定です。
建物などとは違って、広範囲にわたる熊野古道の特徴を理解していただくためには熊野古道を歩き、価値や良さを知ってもらわなければならない。
そのためには熊野古道を歩く、という目的意識を持ってきていただかなければ、本当の魅力は伝わらず不満だけが残る。そのためにはバスでこられる団体客というよりは、旅に慣れた旅の上級者である欧米の個人旅行客をターゲットと定めました。
また、外国人を呼ぶのであれば、受け入れ側も外国人である方が望ましいとのことで、英語を母国語とし熊野に詳しい人材を探した結果、かつて旧本宮町でALT(アシスタントラーニングティーチャー)の経験があるブラッド・トウル氏(カナダ国籍)が国際観光推進員として来てくれることとなりました。ここが成功の分かれ道であったと多田会長はおっしゃいます。
実際、ブラッド氏は外国人からみた感性や強みを見出してくれました。熊野古道の魅力はもちろん、「普段の暮らしこそ価値がある」との外国人ならではの提言があり、熊野古道に関わる旅館、食事などは普段の生活を提供すべきという方向性を定めることができました。
ブラッド氏の活躍は多方面にわたります。例えば多言語の観光案内パンフレットを見ても、ブラッド氏は単に日本語で書かれたパンフレットを訳すのではなく、外国人に魅力が伝わる文面を一から書き起こすとのことです。
次にローマ字表記の問題です。日本の多くは漢字、ひらがな、ローマ字を併記している看板は多いと思います。特に外国人誘致に力を入れる地域にとってローマ字表記は重要です。しかしこのローマ字ひとつとっても外国人を混乱させる要因のひとつでもあるようです。
ローマ字には大きくヘボン式と訓令式、日本式があります。しかしながら日本では混在して使用するケースも多く、外国人から見るととても違和感があり、地域内の同じ場所について違う表記の看板が二種類ある場合があると違う場所と思ってしまうことがあるようです。
田辺市内においても混在する表記があったようなので、ローマ字表記の統一化も早くから実施していました。
また言い方も重要な課題でした。例えば「温泉」について外国語で標記する場合、「SPA」と表記する場合も多いですが、田辺市の場合は「onsen」 と表記することに決めていました。
ブラッド氏の言う「普段の暮らしこそ価値がある」という考えが根底にあります。
現在では観光庁より多言語表記におけるガイドラインが出されていますが、2014年に発行されたものであり、それより8年も早い段階で課題を独自に解決していました。
このように、外国人による外国人視点でのマーケティングはこれからインバウンド対策を考える地域にとって非常に参考になる点だと思います。
【受け入れ側の意識改革】
外国人を受け入れる環境の整備として、非常に重要なことは「受け入れ側の理解」を挙げています。「受け入れ側の理解」とは、外国人を受け入れる現地の方々に理解をしてもらうことです。現地の方々からすると外国人を受け入れることに少なからず抵抗があります。
言葉が通じない、コミュニケーションがとれない、怖い、など。島国の日本人にとって言葉も文化も違う外国人は脅威であると捉える方も非常に多いようです。
そこで田辺市熊野ツーリズムビューローでは、宿泊関係者、交通関係者、観光案内所、行政、神社関係者など、現地の方々を対象に延べ60回に及ぶワークショップの実施を行いました。そこでは外国人に対する誤解を解くこと、英語がしゃべれなくてもコミュニケーションは取れるということ、などを理解していただきました。その結果、施策に関する意見を出すなど関係者が前向きになった成果があったとのことです。
具体的には、ウェブサイトの多言語化、英語版周辺マップやメニューの作成などに加えて、バス時刻表の整備も行いました。バス停については日本人も混乱するように、知らない地でどのバスに乗ればいいのかわからない、同じバス停であるのにバス会社によって停車駅名が違う点などの課題に着手しました。田辺市の熊野古道への移動は主にバスが多く、路線も複雑で5つの会社が18路線のバスを運行しています。停車駅名の統一から路線図の作成などを行っています。
【海外プロモーションの展開】
ターゲット客(旅慣れた欧米の個人旅行客)を誘致する活動もされました。
田辺市熊野ツーリズムビューローでは和歌山県が実施する現地プロモーションに同行し商談会に出向くことから始めました。商談会に出向き田辺をアピールすることで、幸運にも現地のエージェントから小団体で行きたいとのオファーを受けました。しかし、当時は欧米から田辺市までを管理できる旅行会社がありませんでした。要は受け入れ体制がなかったのです。現地のエージェントから怒られた、と多田会長はおっしゃいます。
早速、行程上の切符から宿の手配、メニューの開発などを一括してツアーメニューとして作り上げることに着手しましたが、大手旅行会社に協力いただけなかったそうです。
大手旅行会社からすると外国人個人旅行者向けの熊野古道のツアーはコストが合わないということです。
そこで旅行会社を自分たちで立ち上げよう、と田辺市熊野ツーリズムビューローでは2010年4月に一般社団法人化し、旅行業登録を行いました。
大手にはできない仕事を行うために独自の旅行会社としての仕組み作りが必要となってきます。旅行客のニーズが多様化・個性化され、いわゆる「本物志向」が強まり、発地の情報だけでは対応が困難となって、着地(地元)での現地情報やネットワークを活かしたきめ細かなサポートが求められるようになってきました。そのような時代背景の中、こうした変化に対応し、誘客に結び付けるためにはどうすればよいか。そう考えたとき、今までの「情報発信」や「受入地のレベルアップ」だけでは十分ではない。数多くある観光資源を繋ぎ、実際に旅行商品として販売するとともに、お客様を現地まで運んでくる仕組みづくりが必要だとの結論に至りました。そして、こうして生まれたのが「着地型観光(旅行)」という概念です。
田辺市熊野ツーリズムビューローでは、地元ならではの情報やネットワークを駆使し、熊野古道を歩く旅に必要な全てをワンストップサービスで提供しています。また、「語り部」や「みかん狩り」、「風鈴づくり」などの体験プラン、また、「道普請(熊野古道の補修ボランティア)」や「間伐作業」など、従来では商品としてなり得なかったような素材と旅行とを結び付けることで、地元ならではの新たなオリジナルツアーを開発してきました。
そして、これらのいわゆる「着地型観光(旅行)」を通して、お客様と地元事業者を繋ぐ「中間支援組織(プラットフォーム)」としての役割を担っています。
田辺市からの援助もありましたが、今では4億円を超える売り上げを達成しています。
また、旅行会社を行うことで大きなメリットは「データを取ることができる」ということです。直接外国人観光客に接する機会も多く、外国人観光客の声やデータを直ちに施策へ反映することでより良いサービスに繋げることができる、といった地域にしかできない地域ならではの仕組みです。
【今後の活動について】
このような取り組みの結果、田辺市に宿泊する外国人の数は平成24年の3,389人から平成28年には約9.1 倍の30,958人(田辺市より)に増加し大きな成果を挙げられています。
今後については、日本人や女性の観光客も取り込むことを目標に掲げ「熊野古道女子部」を立ち上げています。
また、お土産などの商品開発、ルートの増設(伊勢路)、地元商店街への流入の仕組みづくりなど現地消費を推進していきたいとのことです。田辺市熊野ツーリズムビューローで売り上げた金額の8割が支払いなどで現地へお金が落ちています。獲得した外貨分をもう一回地域で回す、といった貨幣の循環を意識するだけで違ってくるのだと力説します。
そして地域の笑顔あふれる暮らしを最終の目的とし、さらなる地域活性化を目指す田辺市熊野ツーリズムビューローの活動はまちづくりのひとつの形として非常に参考になるものです。